歴史・文化施設

リーパスプラザこが

豊かな生涯学習社会の実現に寄与するため、平成29年4月に、図書館・歴史資料館・中央公民館に加え、新たに交流館を整備し、“つなぐ”をキーワードとして建物が一体化し、移動が円滑になると共に利用者の交流の幅も広がり、生涯学習の拠点として、市民の生涯にわたる学習活動を総合的に支援する拠点となっています。

かつて、古賀市中央公民館の愛称であった「リーパスプラザ」を継承し、古賀市生涯学習センター「リーパスプラザこが」と命名されました。

「リーパスプラザ」の名称は、「LEAD」リード(導く)と「COMPASS」コンパス(羅針盤)と「PLAZA」プラザ(広場)の造語で、 古賀市が文化芸術の情報などの発信元として「羅針盤」の役割を担い、他市町村を「リード」してほしいとの思いが込められています。
※この愛称は平成21年3月の公募により決定しました。<

図書館の蔵書数は22万冊、その他ビデオコーナー、閲覧室、お話しコーナー、児童書コーナーなど1日いても楽しめます。

歴史資料館は遺跡資料、民具資料等の展示など歴史に育まれた古賀市をわかりやすく紹介しています。

中央公民館や交流館では、生涯学習に関する活動の場としてさまざまな施設があります。


🔍利用については、リーパスプラザこがウェブサイトへ

古賀市立歴史資料館

古賀市立図書館の父とされている人物いることを知っていますか?

薄 恕一(すすき じょいち)氏[慶応2(1866)年12月19日~昭和31(1956)年11月7日]は、糟屋郡席内むしろうち村(古賀市筵内) 生まれ。 近くの谿雲寺の寺子屋で読み書きを習い始めました。

15歳の時に、西南戦争でお尋ね者となり身を隠した父を探しに行く旅で医師に可愛がられたことをきっかけに、医学を志し、 明治20(1887)年、母とともに知人を頼って大阪へ行きました。

書生として苦学するも、二年後、大阪の谷町で薄病院を開業しました。

一貫して「貧乏人は無料、生活の出来る人は薬代一日四銭、眼を洗うのは二銭、金持ちは二倍でも三倍でも払ってくれ」を通し、人情味のあふれる人柄でした。 また、無類の相撲好きで、怪我をした力士を無料で治療したり病院と自宅の間の中庭に土俵を作って稽古させたり、ときには小遣いをやり可愛がっていたそうです。

その面倒見の良さから、いつの間にか元気な力士も「タニマチ」と言い、慕ってくるようになったとゆうことです。

その「タニマチ」が相撲の人気とともに全国に広がり、現在でも相撲界で贔屓にしてくれる人、後援してくれる人などを指す言葉として使われるようになりました。 医学以外にも、大阪府議会議員を7期28年を務めるほか、看護学校、商業学校を設立するなど、政治や教育に大きな功績を残しました。

医学を志すにあたり、勉強するための本を調達する苦労を知っていた恕一氏は、大正12(1923)年、席内尋常高等小学校(現・古賀東小学校)敷地内に薄図書館を建設寄贈しました。

当時、村立の図書館はまだ珍しく、昭和8(1933)年、文部省から表彰されています。 この席内村立図書館(薄図書館)が現在の古賀市立図書館の前身であり、恕一氏は礎を築いた人として称えられています。



🔍利用については、古賀市立歴史資料館ウェブサイトへ

古賀市立図書館

古賀市立図書館の父とされている人物いることを知っていますか?

薄 恕一(すすき じょいち)氏[慶応2(1866)年12月19日~昭和31(1956)年11月7日]は、糟屋郡席内むしろうち村(古賀市筵内) 生まれ。 近くの谿雲寺の寺子屋で読み書きを習い始めました。

15歳の時に、西南戦争でお尋ね者となり身を隠した父を探しに行く旅で医師に可愛がられたことをきっかけに、医学を志し、 明治20(1887)年、母とともに知人を頼って大阪へ行きました。

書生として苦学するも、二年後、大阪の谷町で薄病院を開業しました。

一貫して「貧乏人は無料、生活の出来る人は薬代一日四銭、眼を洗うのは二銭、金持ちは二倍でも三倍でも払ってくれ」を通し、人情味のあふれる人柄でした。 また、無類の相撲好きで、怪我をした力士を無料で治療したり病院と自宅の間の中庭に土俵を作って稽古させたり、ときには小遣いをやり可愛がっていたそうです。

その面倒見の良さから、いつの間にか元気な力士も「タニマチ」と言い、慕ってくるようになったとゆうことです。

その「タニマチ」が相撲の人気とともに全国に広がり、現在でも相撲界で贔屓にしてくれる人、後援してくれる人などを指す言葉として使われるようになりました。 医学以外にも、大阪府議会議員を7期28年を務めるほか、看護学校、商業学校を設立するなど、政治や教育に大きな功績を残しました。

医学を志すにあたり、勉強するための本を調達する苦労を知っていた恕一氏は、大正12(1923)年、席内尋常高等小学校(現・古賀東小学校)敷地内に薄図書館を建設寄贈しました。

当時、村立の図書館はまだ珍しく、昭和8(1933)年、文部省から表彰されています。 この席内村立図書館(薄図書館)が現在の古賀市立図書館の前身であり、恕一氏は礎を築いた人として称えられています。



🔍利用については、古賀市立図書館ウェブサイトへ